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"ゆめいろ"とメディア学  >>  「ゆめいろ」を良いメディアにするためには…

■「ゆめいろのえのぐ」をつくるきっかけ
私は大学に入学してから、はじめてコンピュータを真面目に勉強しました。
そのとき、感じたのが「なぜコンピュータはこんなに難しいんだろう」ということです。
大学にはいりたての頃は「キャラクターデザイナーになりたい!」と単純に考えていたので
大学のコンピュータに入っていたグラフィクスソフトを勉強しました。
それがとても大きな壁でした。難しすぎたのです。
こうして、グラフィクスソフトを敬遠した人は少なくないとおもいます。

そんな中、大学では「メディア学」という不思議な学問を学んでいたため、
「メディア学」と「コンピュータの難しさ」を結びつけて、
つねに問題意識を持ってきました。
学年があがるにつれて、プログラミングがある程度できるようになったので、
先ほどの問題意識を、実行に移すときだ…と考え、
大学の研究内で「ゆめいろのえのぐ」の制作を行うことにしたのです。

■問題意識……私の「メディア学」
「メディア学」、なにそれ?…と聞かれれば
”わからない”と答えるしかない、そんな学問です。
とはいえ、私なりのメディア学といえば、少しは言えることがあります。
ゆめいろのえのぐは、私のメディア学を実践したひとつのカタチです。

「メディア」は、日本語にすると”媒体、中間”などですね。
日本では、新聞やテレビをさすことが多いです。
ですが、メディア学の「メディア」はもっと広い意味で捉えています。
M・マクルーハンが「メディアはメッセージである」と言っているように、
メディアはメッセージを伝えるための”媒体”なのです。
そして人間はこのメディアと共に生きているのです。

これを私なりに解釈して、

「ある”モノ”に、なにか伝わるメッセージがあるなら、
そのとき初めて、そのモノは「メディア」になる」


と、考えることにしました。
ここで重要なのは「伝えられる」ことで「メディア」になるという考え方です。

絵を描いて他人に見てもらうことも「伝える」ことですから、
そのとき、その絵は立派なメディアになります。
それを職業にしているのが、画家さんですね。
さらに細かくわけますと、その絵(メディア)を描くための画材も、
伝えるためのモノですから、細かなメディアとして機能しています。


…では、考えてみてください。
難しいという理由で、グラフィクスソフト(画材)を使うことに挫折した場合、
そのグラフィクスソフトは「メディア」と呼べるでしょうか?

残念ながら、そのソフトは良いメディアではないでしょう。
「難しい」ということは、使える人を選ぶということです。
つまりそのグラフィクスソフトを「メディア」として使える人が少ないことになります。
これは「メディア」としては大きな欠点です。
使えない人はメッセージを伝えられないのですから。

コンピュータはこれからの時代を担う「メディア」として大きな期待をされていますが、
残念ながら既存のコンピュータソフトは上記の欠点を持つものが多いのです。


■ひとつの提案として… 「ゆめいろのえのぐ」
私はそんなメディアの現状になげかける一つの石として、
「ゆめいろのえのぐ」を制作しました。

良いメディアを提案する……
このソフトの最も大切なポイントは「使い方」です。
ユーザが負担なく使える道具とは…
挫折しないで使える道具とは…
私はユーザが経験した”なにか”に似ていることが重要ではないかと考えました。
そこで、「ゆめいろのえのぐ」では、
多くの人が経験しているアナログの絵の具に似た使い方を追求しているのです。

パレット、筆、絵の具、色を混ぜる…
これらの行為は多くの人が経験していると思います。
「ゆめいろのえのぐ」では、その行為をできるようにしたというわけです。

既存のグラフィクスソフトと比較してみてください。
既存ソフトは使い方のわからない道具が満載…
ゆめいろのえのぐは、なんとなく様子がわかる道具…
あなたはどちらで絵を描いて、メッセージを伝えたいですか?
どちらをメディアとして使いたいでしょうか。

多くの人が、難しいより簡単なほうが良いと考えると思います。
特に「メディア」は手段でしかないのですから、簡単に扱えるほうが良いのです。
「ゆめいろのえのぐ」はそんな考えのもと作られたソフトです。


まだまだ難題は山積みですが、
今後のコンピュータにおけるメディアを考える材料として、
一つの提案になればと思っています。

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